《Act.8 不可視の境界》


懐かしさの次にオレを支配したのは、猛烈な気まずさだった。
言葉が出ず、ギクシャクと携帯を降ろすと、タカから話しかけてきた。

「…元気、だった?」
「…あ、あぁ…」
「まだレコード屋で働いてたんだ」
「うん…」
「……………」
「……………」
ジットリとてのひらに汗がにじみ出す。
〜〜〜あぁっ!空気が重いッ!誰かっ誰か助けてくれーっ!!
「あの、さ…」
「うっ、うん?!」
タカに沈黙を破られて声がひっくり返る。動揺しているのを知られてしまったようで、気まずさの上に恥ずかしさが上塗りされた。
きっと耳まで赤くなってんだろうな…。
そんなオレの様子に気付いているのかいないのか、タカは気まずそうに下を向き、爪先でトントンと地面を叩く。

あぁ…

そういえばコイツ、こんな癖持ってたな…。いつも何か言いにくい事があると、こうやってポケットに手ぇ突っ込んで、爪先で地面叩くんだよ。
そんな事を懐かしく思うと、急に胸が詰まる。
「俺…、響介に、謝りたくて…」
タカがポツリとつぶやく。
「俺さ、あんな事してすごく後悔したんだ。好きなヤツ傷付けて、信頼も失って、友情も粉々にしてさ…、何してんだろって…。本当にごめん」
「……」
「でも、響介を好きになった事は後悔してないよ」
真っ直ぐに見つめてくるタカの目が悲しく揺れている。避けようの無いその瞳に、オレの心もざわめく。
「タカ…」
オレが見つめ返すと、タカはそっと視線を外し、少し赤くなってうつ向いた。
「無理矢理、その…しようとした事は、すごく悪かったと…思ってる」
「…う、うん」
内容が内容だけに、オレまでまた赤くなってしまう。

あぁ、タカ…。
オレ、思うよ。
お前の事すごく大切なんだって。
それって、お前が思ってくれてるような恋愛感情とはたぶん違うけど、それでもオレにとって、かけがえのない存在だ。
誰にもお前の代わりは出来ない。大事な親友だ。

でも、お前はそれじゃ駄目なんだよな…?

どうすれば良い?
何をすれば良い?
お前の、その切ない瞳にどう答えれば…?

オレは…オレは…

「響介…」
そう囁いて、伸ばして来たタカの手に、ビクリと後ずさってしまった。そんなオレを見て、タカの瞳がユラリと揺れる。
優しく掴まれた手首がドクドクと脈打ち、触れられた場所が熱を持つ。
「最後、だから…、これで最後にするから…。キス…、しても良いか?」
「ッ…」
悲しみ、切なさ、欲望、戸惑い…複雑な感情を湛える瞳に魅せられて、オレは動けなかった。

いや、動かなかったのかもしれない。
最後だと告げるタカの言葉に、何故だかもう戻れなくなるような気がして。

タカといると楽しい。辛いことや悲しいことも和らぐ。たまに喧嘩もしたけど、オレの我が儘や気まぐれを優しく笑ってゆるしてくれた…。
ずっと一緒にいた。ずっとそばで語りかけてくれた。
お前といると安心するよ。
タカ…

これは、愛しいと…思うことは違うのかな?
好きだと、思うこととは違うのかな?

…わからない。

友情と恋心の、この透明な境界線は一体どこに引かれているのだろう。

心に漂う問いに耳を傾けながら、
オレは
タカに唇を許した。

「……」

あの時とは違う、触れるだけの優しいくちづけ。
ポトリ、と頬に濡れたものを感じた。
タカが静かに泣いている。その涙を見て、キュゥ、と胸が締め付けられる。
「タカ…」
そっとタカの背中に腕を回す。
この哀しそうな生き物が、あまりにも小さく見えて…。
「ッ」
タカの体が強張ったかと思うと、強く抱きすくめられ、激しく唇を奪われた。
「っ…んんっ…ぅ…っ」
苦しくて、その腕から逃れようと足掻あがくと、ますます強く抱き締められる。
「タ、タカッ…や、っやめ…」
「響介っ…響介っ…」
「くる、しいからっ、離し、てくれッ」


「何やってんだテメェ!!!!」


突然、吠えるような怒声が聞こえ、タカが横へ吹っ飛んだ。
「ッ?!」
ドサッと、置いてあった段ボールの山に倒れた。それを追いかけるように影がタカに近付く。

「か、凱斗…っ?!」

オレは真っ青になってその背中を見つめた。

「コイツ、何?」
「ぐ…っ」
凱斗がタカの胸ぐらを掴み、引きずり起こしながらオレ言う。
うぅっ…なんてタイミングで登場すんだお前はッ!
「凱斗っ、とりあえず手ぇ離せ!」
慌ててタカに駆け寄る。
「タカ…ッ大丈夫か?!」
「っ、イッテェ…。何なんだよ…」
タカが困惑した顔で、凱斗を見る。口の端に滲む血が痛々しい。
「お前がタカって奴か」
「…アンタ誰だよ」
いきなりグイ、と凱斗がオレを抱き寄せる。
「響介は俺のものなんだよ。勝手に手ぇ出すな。殺すぞ」
目が点になるとはこの事だ。
「はぁっ?!な、な、おまっ、何言って……っ?!」
言い終わらない内に、凱斗に唇を奪われた。
「んんっ…っ…ゥ!」
喰われるんじゃないかと思う程に荒々しく、口内をねぶられ、荒らされる。
タカが見てるという状況に、混乱と羞恥で頭がおかしくなりそうだ。
「ふっ…、ぅんっ…っ」
それでもオレは、その交わりに煽られ、理性を繋ぎ止めておくのに必死になる。
タカとのキスも強引で荒いものだったけど、それは何も感じず、違和感を覚えただけだった。
けれど、凱斗と唇を重ねると、トロリと熱く、したたかな熱が躰中に染み渡り、奥の方からジュワリと甘い疼きが滲み始める。
この違いは一体、何なんだろう…?
その、蕩けるような感覚に飲み込まれそうになった時、タカが弱々しく呟いた。

「…もう、いいよ」
言葉が耳に届き、一気に現実に引き戻される。腕を突っ張っても放そうとしない凱斗にごうやし、思いきり舌に噛みついた。
「!!ぃてえっ!」
「タカッ!待ってくれ!!」
痛みでひるんだ凱斗を突飛ばし、叫ぶ。走り去るタカを追い掛けようとすると、凱斗に腕を掴まれた。
「離、せッ!!」
なんとか振りほどこうとしてみるが、全く歯が立たない。
射るような目で凱斗が見つめてくる。
「行くな」
「…ッ」
「響介…」
ジリジリとくすぶる何かに凱斗から目が逸らせず、しばらく睨み合う。
「離せよ。…お前には関係ないだろ!」
そう言うと、凱斗の瞳が揺れた。
オレから視線を外して低く呟く。
「…そうか。……悪かったな」
オレの腕を掴んでいた手が離れ、ダラリと力なく落ちる。
「……」
凱斗のそんな様子を見るのは初めてだったから、なんだか動揺してしまう。
所在なく、掴まれた所をさすっていると、今度は感情の見えない瞳でオレを見つめてくる。
「あいつにも謝っといてくれ。…じゃあな」
そっけなくそう言うと、凱斗はきびすを返して足早に去って行った。

「…なんなんだよ…」
ポツンと一人取り残されて、オレはやりきれない思いに困惑した。

今のはなんだったんだ?一体…。
凱斗は何がしたいんだ。
ってか『俺のもの』って何だよ。オレはいつからあいつの所有物になったんだ?
それに、人前であんな事するなんて…。
思い出しただけで激しく赤面する。

それにしても凱斗…、どうしたんだろ。
オレ何か、傷付くような事言ったっけ…?
強引で厚かましい所しか見たことがないから、あんな姿を見せられると調子が狂う。
謝らないといけない…のかな?

ふと、殴られたタカの事よりも、力なく去って行った凱斗が気になっている事に気付き、ドキリと心臓が鳴る。

「…?」

何だろう、今のは。
凱斗の事は、とりあえず置いておくとして…。

今更タカを追い掛けても無駄だろうな…。
それに、会って何を話す?凱斗との事は誤解だって…?
言い訳をして何になるんだ。そんなことをしても、タカの想いに応えられる訳でもない。
それなら、いっそ嫌われてしまった方が、タカは諦めがつくかもしれない。
…深く、傷付けてしまった事には変わりはないけれど。

オレはため息をつき、自分のアパートへの道を歩き出した。



■ Back       ■ Next       ■ Home       ■ Close